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「αMプロジェクト2011 成層圏 Vol.2 増山士郎」展

「αMプロジェクト2011 成層圏 Vol.2 増山士郎」展をGallery αMで観てきました。
 

 
作品は2つあって、オランダのスキポール空港でセキュリティホールを見つけて、そこを輪ゴムを通してセキュリティを突破するという作品と、北アイルランドとイギリスの境界で生活していてその際に犬の糞が玄関にある。それを境界の紛争となぞらえて爆弾処理を行うという作品の2つ。この2つについて共通している項目は境界線とその越境の方法というところですね。そう考えると輪ゴムの作品のクールな越境の方法が面白く感じれたりしました。それにしても北アイルランドとイギリスの境界の地域の立体模型や写真やらがたくさんあったのですが、そのなにやらイギリスらしいと言って良いのかわからないですが、重い空気感がなかなか緊張状態を表現していて、糞争がまさしく紛争のように捉えられて面白かったです。
 
 

椛田ちひろ「私のゆくえ」

椛田ちひろさんの成層圏vol.1「私のゆくえ」をgallery αMでみて来ました。
 

 
先日観に行った、MOTでの「MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」でも出品されていた、椛田ちひろさんの作品がαMでも観れるということだったので行ったのですが、作品のタイプは少し違う感じでしたが、共通して自分の時間のまたは記憶の軌跡を蓄積させているそれを重ねてその瞬間を絵画にしているような作品が印象的ですね。
 
絵画は瞬間として捉えられるが、その裏には膨大な時間が隠れていて、その過程が透けて見えるような部分に時間や記憶を重ね合わせたくなるような作品です。そういう意味では杉本博司さんの劇場やドライブイン・シアターのような作品と共通している部分があるかもなということを考えながら見ていました。
 
とにかく、MOTを含めてどちらの作品も時間を堆積させた面白い作品のように思えたので、これから他の作品を見るのが楽しみです。
 
 

馬喰町ギャラリー巡り 10.04.21

・TARO NASU

“Herald St” Peter Coffin, Matthew Darbyshire, Cary Kwok, Djordje Ozbolt, Nick Relph, Donald Urquhart
ロンドンにある”Herald St”というギャラリーに所属しているアーティスト6人展だったようなんですが、ちょっと6人っていうと多くてイマイチ作品全体として感じれなかったのが、何となく残念ではありましたが、それでも面白い作品もあったし、良いのもあったんだけど、やっぱちょっと印象が薄くなってしまっています。ということで、ちょっと語るほどピンと来なかったかなー。

・gallery αM

「複合回路」vol.1田口行弘展
ギャラリー自体が地下にあるのですが、そこを洞窟と考えて作品をつくったらしいです。ギャラリーに入ってく階段とか、その先の踊り場、ギャラリーの空間、そのあたりから何となく洞窟という見立てにも似た考え方はわかりやすくアプローチが出来ている感じでした。そのなかで広げられる空間にある立体とその影。恐らく影が作品のように見えてのだが、そこに実際にある影とプロジェクターで写される影と自分が映し出される影があり、気がつくと自分が作品のなかに入り込んでいることになり、つまり洞窟全体が作品のようにも感じられるようになる。タイトルが複合回路なんだけども、何となく回路というより装置というように感じるくらいシステムのようなものを感じることができた。そこにある立体作品が作品と捉える事が当たり前と思うのが普通のように思えるけど、影が作品となるとそこに実際にある作品が影のようにも捉えられて、なんとなく、「すべては虚数空間の宇宙のように輝いてるんです(宇宙遊泳の歌詞から。笑)」みたいな。あっちがわ、そっちがわとか言っちゃいたくなる感じでした。面白かったです。

・CASHI°

「花も嵐もかきわけて」悠久齋
写真でいうと左側のギャラリーですね。ガラスなんで中が少しみえるんですが、この時はもう既に中が見えませんでした。それは、中が布だらけだったので。天井から布がたらしてあって、そのなかを歩きながら布とかを中心に色々な素材で作られた作品を見るというものでした。いやー。作品にぶつかったり踏んだりしないか心配になりながら歩く感じはなかなか良かったです。作品自体はちょっとよくわからない感じだったけど。苦笑。でもそういう体験系の展示方法は嫌いじゃないですね。もうちょっと理解が深まれば面白くなるかも。天井からぶら下がったカラフルな布の中を作品に気を遣いながら歩くということに気を取られすぎたというか、そっちに気がいってしまった感じがありました。

・ラディウムーレントゲンヴェルケ
Strings, 1993 中山ダイスケ
上の写真の右側のギャラリーですね。この作品は1993年の作品だったそうで。作品をみたら今の作品かと思ってしまいました。かなり攻撃的な近くに近寄るのも怖いなって感じる作品でした。どんな作品だったかと言うと、弓矢が球状になっていて、それがいかにも不安定で矢が飛んできそうに感じられると言う作品でした。とにかく力強い。恐怖を感じる。という作品だったと思います。あとからHPとかの説明を読んで1993は、そういうものを発表したくなる時代背景だったのかなぁ?と考えるとより存在が際立ってくる。そんな作品でした。

田口行弘展 「複合回路」vol.1

田口行弘展 「複合回路」vol.1をgallery αMで観てきました。
 

 
ギャラリー自体が地下にあるのですが、そこを洞窟と考えて作品をつくったらしいです。ギャラリーに入ってく階段とか、その先の踊り場、ギャラリーの空間、そのあたりから何となく洞窟という見立てにも似た考え方はわかりやすくアプローチが出来ている感じでした。そのなかで広げられる空間にある立体とその影。恐らく影が作品のように見えてのだが、そこに実際にある影とプロジェクターで写される影と自分が映し出される影があり、気がつくと自分が作品のなかに入り込んでいることになり、つまり洞窟全体が作品のようにも感じられるようになる。
 
タイトルが複合回路なんだけども、何となく回路というより装置というように感じるくらいシステムのようなものを感じることができた。そこにある立体作品が作品と捉える事が当たり前と思うのが普通のように思えるけど、影が作品となるとそこに実際にある作品が影のようにも捉えられて、なんとなく、「すべては虚数空間の宇宙のように輝いてるんです(宇宙遊泳の歌詞から。笑)」みたいな。あっちがわ、そっちがわとか言っちゃいたくなる感じでした。面白かったです。